初めてのドールマスク②

第2話 マスクの下の吐息
五反田の夜は、いつもより少し蒸し暑かった。
地下のライブハウス「GOTANDA G5」の控室は、前回よりも狭く感じる。鏡の周りのLEDライトが白く点滅し、衣装掛けにかけられた新しい衣装が、薄暗い部屋で妖しく光っていた。
りさは衣装に着替えた姿で、ソファの端に座っていた。
白いレース素材のミニドレス。胸元が大胆にV字に開き、谷間がくっきりと見える。裾は太ももの付け根ギリギリまで短く、168cmの長身細身の脚がほとんど丸見えだ。黒髪セミロングを後ろで軽くまとめ、素顔のまま鏡を見つめている。頰がすでにうっすらと赤い。
「兄ちゃん……この衣装、ちょっと……見ないで」
りさは両手で胸元を隠すようにしながら、小さな声で言った。
でも僕は、ドアに背を預けたまま、目を逸らすことができなかった。
二十二歳の妹が、こんなに色っぽい姿で立っている。しかもこれからドールマスクを被って、ステージに上がる。
「ルールだろ。客が喜ぶ衣装だって言ってたじゃないか」
僕は平静を装って答えたが、声が少し掠れていた。
りさは深く息を吐き、テーブルの上に置かれた白いドールマスクを手に取った。
かわいいアニメ顔。大きなつぶらな瞳、桜色の頰、小さな唇が優しく微笑むデザイン。
彼女は鏡の前に立ち、黒髪をもう一度整えながら、マスクを顔に近づけた。
「紐……結んでくれる?」
僕の心臓が跳ねた。
近づいて後ろに回り、細いゴム紐を彼女のうなじで結ぶ。
指先が、熱い肌に触れた。
滑らかな首筋。黒髪の甘いシャンプーの香り。
りさの体が、ほんの少し震えた。
「ん……」
小さく息を漏らす声が、マスクに被われる直前に聞こえた。
カチッ。
マスクが固定された。
168cmの長身に、白いレースのミニドレス。
そして完璧な人形アイドル・リサドールの顔。
マスクの大きな瞳の隙間から、りさ本人の黒い瞳が、緊張で潤んで僕を見ていた。
「どう……? 変じゃないよね?」
マスク越しでも、声は甘くこもっている。
小さな唇の部分が、息を吐くたびにわずかに開閉する。
僕は息を飲んだ。
胸元のレースが、呼吸に合わせて微かに揺れる。長く白い脚が、控室の床に映る。
「完璧だ。……誰もりさだって気づかないよ」
本番まであと十分。
りさは鏡の前で何度も衣装の裾を直し、手を握ったり開いたりしている。
指先が震えていた。
ステージが始まった。
僕は客席の暗闇に座り、スポットライトに照らされとりさを見つめた。
「人形アイドル・リサドール、登場です!」
MCの声と同時に、甘いビートが流れる。
かわいいアニメ顔のまま、りさは踊り始めた。
腰をくねらせ、指を自分の唇に当てて軽くくわえるような仕草。
脚を高く上げ、長い脚線が観客の視線を釘付けにする。
ドールマスクは無邪気に微笑んでいるのに、体は明らかにセクシーだ。
観客から「かわいい!」「もっと!」という熱狂的な声が飛び、拍手と歓声が控室まで響いてきた。
でも僕は、ステージ上の彼女ではなく、さっき控室で感じたりさのうなじの感触を思い出していた。
マスクの下で、今、彼女はどんな顔をしているのだろう。
息が荒くなっているのだろうか。
ショーが終わり、控室に戻ってきたりさは、息を切らしながらドアを閉めた。

マスクを被ったまま、壁に寄りかかるようにして立つ。
「はあ……はあ……こんなの、恥ずかしいよ、兄ちゃん……」
声が震えていた。
胸が激しく上下し、レースの谷間が汗で光っている。
僕は近づき、そっとマスクの紐に手をかけた。
「脱がすよ」
ゆっくりとマスクを外す。
汗で湿った内側が、彼女の頰に張りついていた。
現れたりさの顔は、真っ赤に火照っていた。
息が熱く、乱れている。
マスクの内側には、彼女の唇の形がうっすらと残り、化粧が少し滲み、甘い吐息の湿り気が付いていた。
その瞬間、僕の胸の奥で何かが熱く溶けた。
理性が、欲望に負けそうになる。
「兄ちゃん……?」
りさはマスクを握ったまま、潤んだ目で僕を見上げた。
黒髪が汗で少し頰に張りつき、長身の体がまだ熱を持っている。
五反田の夜の路地を、二人で歩き始めた。
ネオンが地面に反射し、静かな足音だけが響く。
りさは僕の隣を歩きながら、突然立ち止まった。
「兄ちゃんの目……今日、ちょっと変だったよ」
彼女の声は小さくて、でもはっきりしていた。
「マスクの下、全部見透かされてるみたいで……ドキドキした」
僕は言葉を返せなかった。
ただ、彼女の細い肩が、夜風に少し震えているのを見ただけだった。
マスクの下の吐息。
素顔の恥じらい。
二人の間に、生まれたばかりの甘く危険な空気が、静かに広がっていく――。
(第2話 終わり)